私は時々ファシリテーターという業務を行います。
研修やワークショップのような学びを促進する場において中立的な立場に立ち、相互理解や合意形成の手助けをします。
ファシリテーターは、いわば思考の深化をねらい対話を促進する役割を担うのですが、時々感じるのは、参加者からの『教えて欲しい』期待です。
お金を払ってお願いしているのだから、役にたつことを教えて欲しいのです。
こちらも教えたい、伝えたいことはたくさんあるので、意識をしていないと言いたいことを一方的に話してしまいがちです。
そうしたことが意味ないとは思いませんが、それだけではファシリテーターとは言えません。それはセミナー講師です。
ファシリテーターは、ふだん日常では得られない考え、気づきを得られるように進行を見ながら適切な問いかけを行うことに留意しなければならないのです。
人は知らない、あるいは同意できない考えには抵抗します。
知っている、あるいは同意できることしか受容しない、聞かないのです。
つまり、お伝えする内容が役に立つと思うのは、自分がある程度知っている、なんとなくそう考えていることなのです。
そうした『自分の考えを確認する場』の意義は認めるにしても、それは学びを促進する、つまり新たな考えや視野の獲得につながる場とは言えないでしょう。
ファシリテーターの役割として、『コミュニケーションの過程そのものが、学ぶ機会であるという点を忘れないこと』(加藤文俊 2016)があります。
そして特に、そうした場で感じる違和感を大切にします。
違和感とは抵抗の始めの一歩です。
すなわち、新たな知への入り口なのです。