ブログ更新-「理財は卑(ひく)きもの!?」

会社は何のためにあるかと問われれば、多くの人が、お客様、社会、従業員のためにあると答えるのではないかと思います。
日本では今でも、近江商人が言った「三方よし」の観念が社会に浸透しています。

ところが、同じ問いをアメリカ人に投げかけるとだいぶ様相が違います。
数年前にテレビで見ましたが、株主のためと答える人が圧倒的でした。
株式を持つ株主に報いることが会社の存在意義の主たるものなのです。

では、株式とは何でしょうか。
言うまでもなく、それは会社を回すための資本、つまり手段であって、けして目的ではありません。
バブル期には、会社が株式投資に走り一時的には大儲けをし、バブル崩壊により結局大損したところが少なくありませんでした。
経営者が会社の存在意義を忘れ、目先の利益に目がくらみ、目的と手段をはき違えた好例です。

新渡戸稲造の『武士道』に興味深い一文があります。
“武士道においては、(中略)一貫して理財の道をば卑(ひく)きもの――道徳的および知的職務に比して卑きものと看做すことを固執した。”

その理由は、人は「お金」に目がくらみやすいからです。
当時も「お金」は藩の運営には不可欠であり、勘定奉行などという役職があったのですから、その重要性は十分に認識されていました。
しかしながら、“多くの藩において財政は小身の武士もしくは御坊主”に任されていたのです。
「お金」の深みにはまらぬよう、上位者は「お金」に近づかないための工夫があったのです。

現代の資本主義を基本とする社会では、理財を道徳的、知的職務と比べて低いものとは容易に考えられません。
しかし、健全なガバナンスを構築、維持するためには、理財と適正な距離を保つ工夫が必要なのだと思います。