「恐怖心の克服が叡智につながる」
英国の哲学者バートランド・ラッセルの言葉です。
恐怖心と言っても、ここでいう恐怖心は身動きができなくなるよう大きな出来事や障害に対して感じるものではなく、未知の事物へのちょっとした恐怖心、不安や心配と言い換えてもいいくらいのものです。
未知の事物に対して、我々はそれに近づくか近づかないか、あるいは保留するかのいずれかです。
近づく場合には問題ありませんが、近づかない場合、保留の場合はどうでしょうか。
それを否定したり、無視したり、また攻撃的になってしまうことも時々あります。
そうなると、恐怖心も百害あって一利なし、叡智につながるどころか、自ら限界を作り出すだけでなく、他者に対して害を及ぼしてしまうことにもなりかねません。
恐怖心は生きるためには必要なもので、恐怖心を失った世界など想像もできませんが、ちょっとした恐怖心はよく考えてみる必要があります。
とりわけ無意識下にある恐怖心には要注意です。
ちょっとした恐怖心、気づかぬ恐怖心を克服することが、次への一歩を生み、一歩一歩の積み重ねがやがては叡智となって結晶するとラッセルは言いたいのだと思います。
ちょっとした恐怖心は、いやな感じや違和感を覚えた時に潜んでいます。
そうした時には、一歩立ち止まること、立ち止まる勇気といってもいいでしょう。
即座に反応しないことが肝心です。自分の感情を吟味するということです。
ラッセルは、恐怖心の克服はその恐怖心を徹底的に考え抜くことだと言います。私はその前に恐怖心の自覚が必要であると付け加えます。
特に無意識下に潜む感情を自覚する習慣を身につける必要があると思います。
普段と違う自分を感じた時には、一歩立ち止まること。
このプロセスこそが叡智を生む第一歩だと思うのです。